「古川ロッパ昭和日記」の感想
古川ロッパ昭和日記
ふるかわロッパしょうわにっき

06 昭和十五年

06 しょうわじゅうごねん

古川緑波

分量:約348
書き出し:世の中が中々むづかしいのは、悧巧者が居過ぎるからなら有がたいが、実は馬鹿が多く居過ぎるためだからやりきれない。八月二十日ふと思ふ。昭和十五年一月一月一日(月曜)有楽座初日。明治神宮から靖国神社へ廻り、参詣する。帰宅したのが午前二時、眼がさめたのは九時半。紋附を着、屠蘇・雑煮。清も元気。それから雑司ヶ谷の墓参、祖母上のところへ年始に寄る、今年九十五歳。一時すぎに有楽座へ。一座と有楽座の合同年始式で、...
更新日: 2025/07/04
艚埜臚羇1941さんの感想

  当時の 名優かもしれない ロッパは 名だたる 美食家でもあり 彼の 栄養知識は 絶無 では ないけど 皆無に 近いので 本人は 後ろめたいとも 思わず 猟食に 耽った。その結果 深刻な 糖尿病に かかってしまった。それでも 節制を することもなく 食べまくったので 早逝した。莫大なる 収入が あったので パッカードという その頃の 超高級 外車の 運転手付きを 乗り回した。そのため 近くに 行くにも 車で 出かけ 不養生に 拍車を かけ 運動不足も 一因と 囁かれ 身体に 悪いことを しまくっていた。彼の 子息は 某民間テレビ放送局に 勤務し 多分 七光り とは 関係なく 要職に 昇り ついた。かくて 父さんは 食い気で しくじり 息子は 色気で 世間をせまくした かもしれない 日記は 昭和 演劇史の 一次資料としても 価値があると 高く 評価する 向きも いる。