「貧しき文学的経験(文壇へ出るまで)」の感想
貧しき文学的経験(文壇へ出るまで)
まずしきぶんがくてきけいけん(ぶんだんへでるまで)
初出:「文章倶楽部 第十巻第六号(六月号)」新潮社、1925(大正14)年6月1日

牧野信一

分量:約9
書き出し:(一)同人雑誌「十三人」大正八年の秋頃、今実業之日本社に居る、たしか浅原六朗君から、今度、今年学校を出た連中のうちで、同人雑誌を発行することに決つたから、君も加はらないか、と誘はれた。下村と君しか僕は知らないんだから変だな、と私はたしか言つたのである。まつたく私は早稲田時分その二人しか自分のクラスでは話した者はなかつたのだ。それも、私は何時も後の方の席に坐つて居て、彼等も多分その近所に居たので、学...
更新日: 2016/09/11
芦屋のまーちゃんさんの感想

同人誌というものが、作家として文壇に出るための一次審査のようなものか? 今では新人賞に応募するという正式手続きが存在するが、当時は文学青年達が集まり同人誌出版が当然のようだった。やがて大先生作家の目にとまり、絶賛されればそこから交流が始まる。書簡のやりとり自体が後世に作品として残ることも多い。 牧野氏の時代は能動的・主体的で文学的であった。今は受動的で形式的で大作家は生まれない環境だ。ルール通りにやっていたら文学は生まれない。 音楽の世界もそうだ。オーディションでデヴューした歌手とデモテープをレコード会社に持ちこんだ歌手や路上で歌い読けスカウトの目にとまった歌手の違いは主体性の違いだ。オリジナリティの差だ。