「夜光虫」の感想
夜光虫
やこうちゅう

小泉八雲

分量:約6
書き出し:月なき無窮の夜空に、あまたの星がきらめいて、横たわる天の河も、ひときわさんざめいている。風は凪《な》いでいるが、海はざわめいている。見渡せば、ざあと一つまた一つ押し寄せて来る小浪《さざなみ》が、皆火のように燦《きら》めいている。黄泉《よみ》の国の美しさもこのようではなかろうかと思うばかりである。真《ほんとう》に夢のようである。小浪の浪間《なみま》は漆黒であるが、波の穂は金色《こんじき》を帯びて浮び...
更新日: 2024/04/15
19双之川喜41さんの感想

 八雲は 私も 「夜光虫の ひとつである。流れの中に 儚く漂う 燐光体の である」と 悟ったとする。「私の 思惟の へんかにつれて ルビー-サファイア色に 変わる。」詩味あふれる 内省的な 感性と 想った。 

更新日: 2022/04/07
cdd6f53e9284さんの感想

まるで詩のような、なんとも美しい文章ではないかと繰り返し読んでるうちに、「夜行虫」なんて、なんだかボードレールの詩にありそうな気がしてきた。 フランス文学にも造詣の深かった小泉八雲は、ニューオーリンズの記者時代にボードレールを紹介する記事を書いたり、自分からも影響を受けて散文詩や随想を創作しているので、当然、深い影響を受けているだろうから、その原点を漁ってみるのも一興と思い立った。 まず最初は「悪の華」だろうか。それに、もう一冊は「パリの憂鬱」を本棚から引っ張り出して傍らに置いて調べ始めた。 確か、かつて八雲が訳したボードレールの詩というのは、「パリの憂鬱」の中の四篇の散文詩「女の髪の中の半球」「時計」「愚者と美神」「異邦人」だったはず。 しかし、自分が現在持っている「パリの憂鬱」は、2006年にみすず書房から刊行された渡辺邦彦訳のもので、上記のタイトルと照合すると「髪の中の半球」「時計」「道化師とヴィーナス像」「異邦人」となっている。 そこで、ひととおり目を通したのだが、「夜行虫」などという言葉はどこにも見当たらない。 まあ、ざっくりと「海が光る」という意味合いなら、「憂鬱と理想」の1「祝祷」の最終節ぐらいだろうか。 ❮人知らぬ金属、海の真珠、いにしえのパルミルに、消えた宝石が、たとへ、あなたの御手により、鏤められる日があろうとも、燦として目映い、この宝冠を、飾るにはまだ足るまい。見たまえ、この冠は、大初の光の聖炉から、迸る焔を、すくい上げ、ただただ、無垢の光線で、作られる。凡そ、人々の烱々たる目の光も、物憂くも、裏悲しい鏡にすぎぬ❯ 写している途中で、これは違うなと気がついたのだが、すでに半分は入力し終わっていたので、まあ、これはこれでいいかなと作業を強行した。 ちなみに、上記の訳文は、小林秀雄の訳(小林秀雄全翻訳)を参照したのだが、もしかしたら、という気持ちでランボウの「酩酊船」(別名酔いどれ船)をチラ見してみた。 ふむふむ、なるほど、第10節にこんなのがある。どうだろう。 ❮まばゆきばかりの雪の降り、夜空の色は緑さし、海を離れてゆらゆらと、昇る接吻も眼のあたり。未聞の生気はただよひて、歌ふがごとき燐光の青色に黄色に眼醒むるを、われはまた夢みたり❯ 文中の「燐光」を夜行虫と解すこともできる、みたいな説もあるようなので、ここのところは、まあ、良しとしておこう。