死は確かに、つらく悲しい。 けれど生きる希望を失うことも、死ぬことと同じくらい悲しいことではないかと思う。 青菜に塩をふったような青白い月夜の表現は気に入った。
死より悲しいものはない、と未明は断言しているが、文字通り捉えるべきでない。恣意的アイチテーゼだ。 悲しいと思うのは死んだ人間ではなく 残された者達だ。しかも家族くらいのごく少数の者だ。家族にも見捨てられる場合もある。借金を残して死んだ夫などには、妻は悲しみどころか怒りを感じるだろう。 生きることの悲しさから死を選ぶ自殺者の心理は未明にもわからぬし、私も死んだことがないので表現できない。 他人の死が悲しいのは自分もいつかは死ぬのだ、とあらためて思い知らされるのでその恐怖と絶望のせいだ。エゴイズムなのだ。死を身近に感じる辛さ悲しさ恐ろしさ。夜が死を想像させる。 その悲しさを喜びに変えようとする。 年齢をある程度重ねると、死を受け入れる準備をする。 哲学や宗教が特に老人には必要な理由はそこにある。 夜(死)の悲しみではなく喜びになるには若いときは限りなく生きることだ。 お繁さんは可哀想だが運命的だ。
二十三には、何の意味があるのか。死を人間の悲しみの極点と捉えるのは、自分に対してなのか残されたものに対してなのか。もう一読して、考えてみたい。