レタスサラダが食べたくなりました。
可愛い先生ですな笑
今では、何の心配もせずにパリパリ食べられるレタス。 昭和初期に生きる人にとって、それは非日常で驚くことだった。 そういう時代があるから、今があるんだなとシミジミ感じた。 あと、サラダの隠し味に、食材とかけ離れてる物のカケラを連想するところが物理学者だなぁと思った。
サラダは好きだ。 新鮮なサラダは高い。 でもウマい。 サラダは好きだ。大好きだ! 健康を気にしてサラダを多く食べ始めた。だが、健康を気にするということは、実は不健康極まりないと思う。 1日にビタミンをどのくらいとるか!?少しでも食べるのを忘れたら気になって仕方がない。 サラダは好きだ。 でも、サラダの呪縛からは逃れたい。
作者の若い頃と今との比較を織り交ぜたシンプルなエッセイ。サラダひとつの記憶ですが、その頃の食事情や人種差別、家庭の暖かみなど、想像が広がる作品でした。