「流言蜚語」の感想
流言蜚語
りゅうげんひご
初出:「読売報知」1945(昭和20)年10月8日

中谷宇吉郎

分量:約6
書き出し:八月二十四日の真夜中、当分|杜絶《とぜつ》になるという最後の連絡船に乗って本州へ渡った。船は樺太《からふと》からの引揚民《ひきあげみん》で一杯であった。人々は折り重《かさな》って冷《つめた》い甲板上にねていた。それからそれにも増して混んでいる東北線で一昼夜|揉《も》み潰《つぶ》されて、やっと東京へ着いた。東京は全く平穏であったが、帰りの汽車は復員輸送で往きよりももっとひどく混んでいた。前後二週間近...
更新日: 2025/04/01
12157d9884b7さんの感想

流言蜚語、今ようにいえばフェイクニュースである。都合の悪い話はフェイクだと認めず、作り話を根拠に市民を惑わす政治家が大手を振って闊歩している。

更新日: 2019/10/31
19双之川喜41さんの感想

 終戦から数日後に 今夜 米兵が来るから 米旗を用意し ご馳走を作って待つようにという布告を 回覧したところがあったという。 旗も馳走も  あるわけがないので 少し考えれば 流言であることは明らかであるけど 今風に言えば 武器購入費を用意して 待つようにと言う 感じであろうか。

更新日: 2016/07/19
芦屋のまーちゃんさんの感想

こちらもタイトルは流言蜚語。 「そんなことがあるはずはない!」と 立派に言いきれる人が少ないので、 流言蜚語が蔓延する、との考え。 無知な百姓女や労働者は‘媒体’に なってしまうが、科学者のような‘知識人’には流言蜚語を食い止める義務がある。 TVやインターネットのなかった、‘LIVE映像無き時代’では、口承文学のように噂が語り継がれていったのだろう。信じ難いが事実のようである。 今日では政府が情報操作によって国民を欺くこと無きよう、しっかり知識という核兵器よりも有力な武器を我々が身につける必要があると思う。

更新日: 2015/09/26
a5ac6a3c331fさんの感想

どんな状況下でも 真実をみつめる 冷静な目をもたなければ いけない。終戦直後の困難な生活の中でも そういう気持ちが 大切だと説いておられる。 現代は、情報が多すぎて右往左往してしまっている。 自分の考えをもつというのは 大切で、たいへんなこと。