流言蜚語、今ようにいえばフェイクニュースである。都合の悪い話はフェイクだと認めず、作り話を根拠に市民を惑わす政治家が大手を振って闊歩している。
終戦から数日後に 今夜 米兵が来るから 米旗を用意し ご馳走を作って待つようにという布告を 回覧したところがあったという。 旗も馳走も あるわけがないので 少し考えれば 流言であることは明らかであるけど 今風に言えば 武器購入費を用意して 待つようにと言う 感じであろうか。
こちらもタイトルは流言蜚語。 「そんなことがあるはずはない!」と 立派に言いきれる人が少ないので、 流言蜚語が蔓延する、との考え。 無知な百姓女や労働者は‘媒体’に なってしまうが、科学者のような‘知識人’には流言蜚語を食い止める義務がある。 TVやインターネットのなかった、‘LIVE映像無き時代’では、口承文学のように噂が語り継がれていったのだろう。信じ難いが事実のようである。 今日では政府が情報操作によって国民を欺くこと無きよう、しっかり知識という核兵器よりも有力な武器を我々が身につける必要があると思う。
どんな状況下でも 真実をみつめる 冷静な目をもたなければ いけない。終戦直後の困難な生活の中でも そういう気持ちが 大切だと説いておられる。 現代は、情報が多すぎて右往左往してしまっている。 自分の考えをもつというのは 大切で、たいへんなこと。