津田左右吉
秩序のためには 順応型の人間が 必要であり 進歩発展のためには 物騒な反抗型の人間もまた 必要である。 面白いのは 無聊に苦しむ人間も 歴史の動力となりうることを 否定していないことであると感じた。
津田左右吉の流れ行く歴史の動力は、幕末の尊皇攘夷運動は、永く続いた江戸幕府封建社会に対する変化を求める、永く続いた同じことの繰返しの社会を変えたいという当時の人びとの気持ちがそうさせたのであろう。人には一方の考え動きがあれば、もう一方その反対の考え動きがある。