古書、日本の古書を文庫に 欧米化というギャグがあったが 文庫の世界でも西洋の本はかっこよくて日本、特に古書、古典はダサい 漢文や草書行書を読解できないのが理由のようだが、柳田は現代語に翻訳したものでもやむを得ない、と言っている それが文庫の役割だ、と ソクラテスやプラトンの作品を知ってても、古事記や源氏物語を知らない若者が大半であろう どちらも翻訳で良いから読むべきだ
80年前の随筆であるが今の出版界に通じるものがあり、興味深く読めた。
「文庫」のあるべき姿とは? やおら、西洋文学ばかりが、文庫になっている。こんな国は珍しい、という。 古書が読まれなくなったのも残念なこと。漢文の教育がなされなくなったことも原因である。行書草書を読めない連中が殆どだ。西洋文学>日本文学という構図も否定できない。外国のものは良書だという神話的思込。翻訳文学などという、ジャンルも登場。 デジタル文学になると、古語は全く登場できない。行書草書などペルシャ語やアラビア語と同じだ。 もはや、「書物」という定義は崩壊しているのではないか!