「書物を愛する道」の感想
書物を愛する道
しょもつをあいするみち
初出:「書物新潮」1940(昭和15)年4月

柳田国男

分量:約14
書き出し:岩波文庫をはじめ、今日弘く行われて居る数々の「文庫もの」に対して、我々古い人間の包みきれない不満は、あまりにも外国の著作が多過ぎるという一点である。西洋は国の境がもとはそうはっきりとして居らず、学者も書物もよく旅行をして居て、最初から国際共有のものが多かったが、それでさえ文庫の目録には国々各自の片よりがある。タウフニッツのような特殊の目的をもって、原文のまま出して居るものは別として、私たちの見て居...
更新日: 2018/04/15
いちにいさんの感想

古書、日本の古書を文庫に 欧米化というギャグがあったが 文庫の世界でも西洋の本はかっこよくて日本、特に古書、古典はダサい 漢文や草書行書を読解できないのが理由のようだが、柳田は現代語に翻訳したものでもやむを得ない、と言っている それが文庫の役割だ、と ソクラテスやプラトンの作品を知ってても、古事記や源氏物語を知らない若者が大半であろう どちらも翻訳で良いから読むべきだ

更新日: 2016/09/20
0ccb26621849さんの感想

80年前の随筆であるが今の出版界に通じるものがあり、興味深く読めた。

更新日: 2016/06/26
芦屋のまーちゃんさんの感想

「文庫」のあるべき姿とは? やおら、西洋文学ばかりが、文庫になっている。こんな国は珍しい、という。 古書が読まれなくなったのも残念なこと。漢文の教育がなされなくなったことも原因である。行書草書を読めない連中が殆どだ。西洋文学>日本文学という構図も否定できない。外国のものは良書だという神話的思込。翻訳文学などという、ジャンルも登場。 デジタル文学になると、古語は全く登場できない。行書草書などペルシャ語やアラビア語と同じだ。 もはや、「書物」という定義は崩壊しているのではないか!