「愛か」の感想
愛か
あいか
初出:「白金学報 第一九号」1909(明治42)年12月

李光洙

分量:約15
書き出し:文吉《ぶんきち》は操《みさお》を渋谷に訪《と》うた。無限の喜と楽と望とは彼の胸に漲《みなぎ》るのであった。途中一二人の友人を訪問したのはただこれが口実を作るためである。夜は更《ふ》け途《みち》は濘《ぬかる》んでいるがそれにも頓着《とんじゃく》せず文吉は操を訪問したのである。彼が表門に着いた時の心持と云ったら実に何とも云えなかった。嬉しいのだか悲しいのだか恥しいのだか心臓は早鐘《はやがね》を打つごと...
更新日: 2020/08/15
19双之川喜41さんの感想

 男だけど 男に恋してしまったので   一度 胸に抱かれたかった という想いを残して 玉川電車の 線路を 枕に 鉄道自殺をはかる。どうなったかは 描いてないので わからないけど なかなか 感心しにくい 作品と感じた。

更新日: 2020/04/04
1740d210d5d2さんの感想

黒川創の『国境』を読んで以来ずっと気になっていた日本語文学、あるいは植民地文学作品が青空文庫で読めるとは!激動の時代を数々の逆境に鞭打たれながら懸命に生きた作家の青年期の孤独感は、既に英米文学では既にひとつのジャンルともなっているゲイフィクションという形を取ってここに表出した。他者への眼差しに乏しい旧来の日本文学にあっては、生身の人間が如何に時代や政治に翻弄されざるを得なかったかを、人間が抱く愛という永遠のテーマについては言うまでもなく、よく考えさ出てくれる作品であると思う。漱石が途中で筆を折った満州紀行が朝鮮半島紀行にも引き継がれていたならばと残念に思うが、それも急変した日本国内情勢に影響されたことを思うと、実に深い感慨を抱かざるを得ない。今や世界がグローカリズムの時代に遷移したといわれ、日本語を読み話すものにとっては、ポリグロットの作家達に視点を注ぎ、自分たちが「海外の」人々からどのような他者として見つめられているかを立ち止まってじっくり考える懐を持つことも文学の地平線を拡げうる手段である。歴史を繰り返させないよう、新酒は新しい器で味わうべきなのである。

更新日: 2020/03/09
8bcdbadeb458さんの感想

コミュニケーションが下手に尽きる。友達が欲しかった。でも一目惚れした子は無口で、自分はおしゃべり好きだったから愛を感じられなかった。主人公の愛=語らいだったのだろう。 現代人でもこういう人は多くいそう。