加藤一夫
キリスト教の隣人愛とは、実は身近な他人である「わが児」のことではあるまいか?子供のために働くのは大義名分である。正当化しなければやってられない。子煩悩の父と言われるのは、結局自分のためだ。
遥か遠くに 微かな 希望が 感じられる。