今の社会主義や共産主義は、既に史的原初の理想から遠く離れて、単なる独裁の追認になってしまっている。 ただ、この詩が訴える、原初の苦悩(厳密には舶来思想につき、翻訳を通して著者が当時の知見で知り得た限りでの、『原初』だろうけど)はひしひしと伝わってくる。 日本が近代化の際に西洋を模倣し、その礎には西洋哲学や宗教(学)があったけれど、根源で、それらさえ、時の権力の所有、資産の所有を如何に正当化するか、批判するかというポジショニングに過ぎないとさえ言える。文化の把握自体に、所有が組み込まれている。 もっと言うと、時代が下り色んな克服がなされたはずの世界、個人主義の世の中における恋愛や婚姻でさえ、所有の概念の延長である。彼・彼女は自分のものだ、というフレーズは、所有をベースにした思考の表れだ。 それが下劣に現れると、奴隷制になったりする。 最近、日本で話題の(?)徴兵制はお国のためという美辞麗句がコーティングしているので、背後の権力欲、所有欲を炙り出すのは難しいが、言外にみんな感じ取るから危機感を感じるのではないかな。 詩の後半の含意はまだ消化できた気がしないけど、なんか現在の電波利権や原発利権を連想した。もちろん、そこにはインフラの所有欲が潜んでいる。