とりとめのない文章、話の中心が何故か英訳された「源氏物語」とあってはそれを読まない者には感じようがない。軽井沢に英訳物語、著者自身がが文中で批判している外国かぶれかもと思えてくる。
連綿と紡がれる言葉が美しい。このひとかたまりのエッセイの中で、正宗白鳥の言葉は一つの澱みも無い。言葉が実に流麗なので内容も立派に思えてくるが、実際にはそれほどのことを述べているのではないように思う。流石に現代においては、源氏物語への夢想などは老境の臭いがあまり強すぎる。が、前半の清浄な霊峰の叙述などは特に爽やかでよくできている。しかしそういうトーンだけではなく、軽井沢にはびこる田舎西洋人を真似るド田舎日本青年への呆れなど読むにつけても、やはりいわゆる自然主義の大家である。泥臭い描写を決して逃さずに埋め込んでいる。清浄なる異国の霊峰と、卑俗な軽井沢の日本人と、そして源氏物語の夢想へと、清濁併せ書いている。