「軽井沢にて」の感想
軽井沢にて
かるいざわにて
初出:「旅人の心」1942(昭和17)年3月

正宗白鳥

分量:約17
書き出し:長谷川伝次郎氏の『ヒマラヤの旅』には、二万尺以上の霊峰を跋渉した時の壮快な印象が記されている。古来、現世の罪や穢れを洗い清めるために参詣すべき聖地として印度人に憧憬されていたカイラースの湖畔などは、この世のものとは思われないそうである。そこは、一本の樹木もない茫々たる土塊のなかの水溜であるに関わらず、ただ空気が清澄であるために、天国のような光景を呈しているのだそうである。私にも、その光景が微かに空...
更新日: 2023/05/20
阿波のケンさんさんの感想

とりとめのない文章、話の中心が何故か英訳された「源氏物語」とあってはそれを読まない者には感じようがない。軽井沢に英訳物語、著者自身がが文中で批判している外国かぶれかもと思えてくる。

更新日: 2023/05/19
中央原理さんの感想

 連綿と紡がれる言葉が美しい。このひとかたまりのエッセイの中で、正宗白鳥の言葉は一つの澱みも無い。言葉が実に流麗なので内容も立派に思えてくるが、実際にはそれほどのことを述べているのではないように思う。流石に現代においては、源氏物語への夢想などは老境の臭いがあまり強すぎる。が、前半の清浄な霊峰の叙述などは特に爽やかでよくできている。しかしそういうトーンだけではなく、軽井沢にはびこる田舎西洋人を真似るド田舎日本青年への呆れなど読むにつけても、やはりいわゆる自然主義の大家である。泥臭い描写を決して逃さずに埋め込んでいる。清浄なる異国の霊峰と、卑俗な軽井沢の日本人と、そして源氏物語の夢想へと、清濁併せ書いている。