「認識論としての文芸学」の感想
認識論としての文芸学
にんしきろんとしてのぶんげいがく
初出:「唯物論研究 五十一号」1937(昭和12)年1月号

戸坂潤

分量:約23
書き出し:文芸学の対象は云うまでもなく文芸である。尤も従来の日本語の習慣によると、文芸は又文学とも呼ばれている。文学という言葉は通俗語として、又文壇的方言として、特別なニュアンスを有って来ている。単に文芸全般を意味する場合ばかりでなくて、却って小説とか詩とかいう特定の文芸のジャンルを意味したり、又はそうでなくて、一つの作家的乃至人間的態度を意味したりもしているのである。丁度詩という言葉が文芸の一つのジャンル...
更新日: 2021/10/04
dda7a062a949さんの感想

自分のおつむにとってはかなり難解であったけども価値の基準は特定の或る時代の歴史によって結論付けられることは理解できたしその当時の日本における文学という概念にそもそもの曖昧さがあるというのは_自分自身は今においても曖昧だと思うが_理解できた。ただ、文学は鏡である。文芸はある時代のその環境の歴史、文化、社会を表したものであるというのは些か誇張しすぎな気がする。文芸はその作成者の個人、集団に関わらず主観に依るのだからそれにどれだけ科学的尺度が当てられていようとも文芸はそれを表すというのは不正確だと思った。文芸は芸術の認識論による尺度が必要なのも文芸の抽象的な世界を具体的に認識するためであるというのもわかった。 おつむが弱いのでどこまで理解できているかわからんけども自分はこう理解したし解釈したかな。