「汽車で逢つた女」の感想
汽車で逢つた女
きしゃであったおんな
初出:「婦人公論 第39巻第10号」中央公論社、1954(昭和29)年10月1日

室生犀星

分量:約20
書き出し:二丁目六十九番地といふのは、二軒の家を三軒にわけたやうな、入口にすぐ階段があつて、二階が上り口の四疊半から見上げられる位置にあつた。打木田が突立つて、戸越まさ子といふんですがと女の名前をいふと、二階の障子がものしづかに開いて、女の顏が顎から先きに見え、紛ふ方もない汽車で逢つたまさ子であつた。打木田は、やあ僕やつて來ましたよ、と笑ひ顏を向けると、女は、あら、ほんとによく來てくだすつたわね、といひ、お...
更新日: 2022/04/07
ba8fc44d1a35さんの感想

 心暖まる話である。しかし、あり得ない話かもしれない。こんなことがあるといいなという作者の夢なのかもしれない。  生後すぐ母から 引き離され 養子に 出されて 苦難の 育ち方をした作者 室生犀星氏 ならではの 、不運な者への 人間愛に 心打たれる。  娼婦である 女主人公 の 気持ちの 優しさが 男を 真人間にした と言えるであろう。 聖母のような女性である。   この二人が また 不幸に陥ることになりませんように、 幸せをつかみますように と 祈りながら 読んだ。  実際 には なかなか こうはいかないであろう と思ってしまう 人の世の 現実が 悲しい。