「早稲田神楽坂」の感想
早稲田神楽坂
わせだかぐらざか
初出:「東京日日新聞」1927(昭和2)年6月11日~29日

加能作次郎

分量:約61
書き出し:床屋の壁鏡神楽坂通りの中程、俗に本多横町といって、そこから真直ぐに筑土八幡の方へ抜ける狭い横町の曲り角に、豊島という一軒の床屋がある。そう大きな家ではないが、職人が五、六人もおり、区内の方々に支店や分店があってかなり古い店らしく、場所柄でいつも中々繁昌している。晩になると大抵その前にバナナ屋の露店が出て、パン/\戸板をたたいたり、手をうったり、野獣の吠えるような声で口上を叫んだりしながら、物見高い...
更新日: 2022/04/12
19双之川喜41さんの感想

 肴町の停車中の 賑わいは 大きな蟻の  京参りみたいだと たとえている。 町名変更が  何回かあると  このような 街角細見は  どこがどこやら分からなくなってしまうけど  これも 時代の流れとして  諦めなくてはならないのかもしれないと感じた。