雙喜 自称 詩人でも なんだかなあと 読み手に 想わせてしまう 書き手は 珍しくも ない。筋立て だけが 関心事で 詩味を 等閑視する 読み手も 腐るほど いる。そういう 業界 なんだから たまに 目先の 変わった ことを 口走る お方も いて 一石を 投じたく なるのは 無理も 無いのでしょう。
文学を楽しめなくて、声が大きい。そんな輩が「評論家」などの肩書を借りて世間に影響を与えている。 そんなことを言っているのでしょうか。 陰鬱な小説も楽しめるようになりたいものです。
文学をほんのすこしかじった輩が 文学者、評論家、批評家の真似事をするのが許せないらしい。 また、そうした輩が大衆受けするのが 腹立たしいようだ。 大衆のほとんどが素人だから仕方ない。陰気よりは陽気な方がイメージはイイ。 文学は主人公やその周辺人物が自殺したり病死する。なかなかハッピーエンドのストーリーにはならない。 だから、 「陽気な文学を!!!」という提案はまんざらでもない。 ところが、中也は許せないのだ! そういう輩も大衆も。
中也は繊細なので特に無神経で押しの強い輩には傷ついたんでしょうねェ。 かわらづたいの並木の陰に秋はうるわし女の瞼 泣きもいでなん空のうるみ 昔の馬のひずめの音よ・・・ 中也はいいですね~。