一言にして言えば、職業文士。 文学屋であって侍では無いのかもしれない。 複雑に混乱した現代に於いて文士を文屋と単純には謗れないが、侍と言うもの何かと切り結ぶ覚悟がいる。何の為に、此の言葉を嫌うものがいるのは知っているが、切り結ぶかで、文士の価値も決まると言うもの。 しかし、食を得るために切り結ぶのも生物本来のあり方。職業文士を志すのも悪くない。 魂の無い文章は死人の言葉。 現代にまで届く彼の言葉はこうして今も生きているのだろう。 記 西山貴文
才能の塊のような中也からみれば文学を論じる、才能のカケラもない輩はモーツァルトのサリエリに対する様なものだと思う。