「私の信条」の感想
私の信条
わたしのしんじょう
初出:「世界」岩波書店、1953(昭和28)年

牧野富太郎

分量:約5
書き出し:何んでもこうしようと思っている考えは大小となく軽重となくいずれも信条である、ですから、人々はたくさんな信条を持っているわけだ、それゆえ信条のない人はおそらく世の中に一人もあるまい。だが、信条には立派な信条もあればつまらぬ信条もある、偉大な人の信条はこの上もなく立派なものであるのだが、平凡な人の信条はその人のように全く平凡である。私は凡人だから凡人並みの信条を持っている。その中で私として最も大なる信...
更新日: 2024/04/16
19双之川喜41さんの感想

 牧野氏は 東大の 植物学教室で 陰湿な いじめに さらされた。しかし それを ばねにして 『大日本植物志』を 執筆した。しかし 昭和の初期に 全四巻までで 頓挫してしまった。氏は 「日本の植物界では 著者が 「精図」も 描き 詳細な 「解説文」をも 綴る ような仕事を 遂行出来る人はない」との 確たる 信条から この 難事業に 敢えて 立ち向かった。東京の 練馬あたりで 散歩なさる お姿を 懐かしく 思い出した。

更新日: 2023/05/23
ネモフィラさんの感想

高尚な魂に行動力。尊敬します。

更新日: 2023/05/06
500086b833fdさんの感想

牧野富太郎の私の信条を読んで、このような文章が牧野富太郎に残されていたことに驚いた。簡潔で心情が吐露されている。読んで、半導体研究で世界をリードした西澤潤一を思った。彼は誰もやっていない光通信の研究で多くの特許を取ったが日本ではまったく評価されなかった。日本の学会でも産業界の有識者と言われるところから、西澤潤一の研究は世界のどこにも同様なものはないということから無視された。金を出すところはなかった。いつしかアメリカに追い抜かれ莫大な特許料を払い続けることになった。独創の研究者をほおむりさった結果だ。ひとのやったことは工夫次第に改善するが、独創は排斥する。日本が世界の田舎者と言われるところだ。