雑誌記者は 一般人の読者より 一足先に 生原稿を読んで よく書かれているか どうかを 決める人なので 社にとっても大切な人ということにはなる。 芥川は その名が へんてこなのが逆効果を生み 隆盛を極めた と 犀星は 皮肉を込めて いっているけど 何となく 対抗意識が 伝わる。 中央公論の記者は 芥川の生の原稿を 製本して 私蔵してたと言う 。 芥川が 書き損じた原稿は 成稿 より多いということである。
作家の原稿は手書きするから価値があり、書き損じの原稿は更に価値がある。文学館などに展示してある生原稿を見るのが好きだ。作家によっては素人でも読める字と古書並みの判読不可能の原稿もある。編集者泣かせであろう。 さて、そんなパソコンもメールもない時代の作家と雑誌記者との押し問答である。芥川は頑固に「書けない」と偉そうにハッキリ言うらしい。流行作家となっているが、書けないものは書けない、と言って何がいけないのか?安請け合いして締切に間に合わない方が問題だと思う。実際そっちの作家の方が多いのではないか?どうも、室生氏の見立ては芥川が切羽詰まっている訳ではなく、どことなく余裕がある中で断っている、ということである。 流行作家という表現も皮肉を込めている。嫉妬や妬みもあるのだろう。芥川が原稿を断る一方で、室生は密かに小説の練習をしているのだから。