「オカアサン」の感想
オカアサン
オカアサン
初出:「女性」1926(大正15)年10月

佐藤春夫

分量:約25
書き出し:その男はまるで仙人のように「神聖なうす汚なさ」を持っていました。指の爪がみんな七八分も延びているのです。それがしきりとわたしに白孔雀《しろくじゃく》の雛《ひな》を買えとすすめるのですから、わたしはお伽噺《とぎばなし》みたようなその夜の空気がへんに気に入ってしまったのです。そうしてわたしはつい一言、そんな高価なものを買ってもいいようなことを言ってしまったのです。が、いいあんばいに先方の値とわたしの値...
更新日: 2021/04/21
b53e79cfe52cさんの感想

買った一匹の鸚鵡の鳴声から前の飼い主を想像する。それは小さな子供のある心優しいお母さんのいる家庭。日本の良き家庭である。それは作者の優しい心の投影であろう。

更新日: 2021/04/19
8378e37a477fさんの感想

さすが、詩人でもあるだけあって、とても優しげで情緒豊かな作品だった。愛らしさ。楽しさ。おかしさ。そして人間の心の切なさがなんとも言えずよかった。そして又、前の飼い主がロオラを手放した理由が、私 の想像のように悲しいけれど慈愛のあるものであってほしい。

更新日: 2017/10/28
dae691be37b1さんの感想

途中から何か事件にるのではないかとドキドキした。

更新日: 2017/07/15
1cd11cfbd681さんの感想

素敵でした。 鸚鵡の言葉からの空想と言ってしまっていいかもしれませんが、過去に鸚鵡といたであろう見知らぬ家族の人格と感情をここまで考え込んでさらに心配までしているのは、やはり文章を書く人だからこそかなと感じ面白かったです。 パパママ呼びに対する強めの意見も、鸚鵡の色々な感情の「オカアサン」を繰り返し聞くうちその言葉への愛着も相まって出てきたのかなと思い微笑ましく感じました。 最後の一文がよく響きました。

更新日: 2017/04/09
d524c80b420eさんの感想

ロオラの鳴く声から、飼われていた家庭環境を辿る描写が、まるで探偵小説の事件を究明しているようで面白い。 しかし話がほぼ鳥についてだというのに、タイトルが『オカアサン』というのは一度、不釣り合いに思えた。 それらしきものは、作中に書いてあった主張、子供は親を「パパ、ママ」より「お父さん、お母さん」と呼んでくれ、という著者の思想が目立つ。 けれどもこの話のタイトルは『ロオラ』でもいいのではないか、そう思えるほど著者の主張は唐突で、かつ、三、四ページほどしか綴られていない。 全文読み終えてみると私は、ロオラの飼われていた家庭にいた女性のことがタイトルの『オカアサン』ではないかと感じた。 これは鳥の話ではなく、鳥を通して見た『オカアサン』の話だったのだろう。 どことなく切ないこの話は、一気に読んで、ロオラに対する主人公のしみじみとした男性らしい愛着を味わうことも楽しい。

更新日: 2016/11/27
ayameさんの感想

私はパパ派だったので、作者の外国語呼び否定の意見に少しうーんとなる部分もありましたが、後半すごく良かったです。どこの家でも愛される鸚鵡[オウム]のロオラは可愛い。

更新日: 2016/10/06
a3597077a8c4さんの感想

文の終わり方が切なくて良かった 犬は弟、猫は友達、鳥は恋人ですね~ 動物によって距離感が違います 突然のパパママ呼び批判には少しだけ同意します……友達の前でうっかり呼んで恥ずかしい思いもしましたし 成人近くなったこの頃は、お母さんお父さんと言い換えるのも億劫で「ねえ」で済ませています

更新日: 2016/10/04
8fe251a4ce08さんの感想

すごくわかる!おもしろかったです。 一緒にいると、過去も気になりますよね。

更新日: 2016/01/24
f3a948db45b7さんの感想

おもしろい! 勝手に人の過去を想像して作ってしまうことありますよね。それがぴったり行った時そうとしか思えなくなります。