妄想が女性を魅力的にする。
「エロではない」 もちろん、エロではないけれど、実によくできた小説です。 永井荷風は、人間の「劣情」の在り所とその動かし方を十分に熟知している書き手だと実感しました。 これほどの手練れなら「四畳半襖の下張り」くらいは、軽く書き飛ばしたに違いない。 男は、下宿先の肉感的な若奥さんが、どうにも扇情的に見えて仕方なく、やがてそれが耐え難い欲情に変わっていく自分の気持ちを抑制することに悩んでいた。 悶々とした日々を過ごしていたある日、旦那が出張で留守という夜、遠慮して遅く帰宅した暗い家の中で奥さんが縛られて転がされているのを発見する、強盗に入られたのだ。 縛られて転がされていたのだから、当然、太ももくらいは見えていたってふしぎじゃない。なんなら、胸チラくらいはサービスしたって構いません。 どうです、この整えられた完璧なシチュエーション、アダルトビデオなら、もうとっくに濡れ場開始というところですが、しかし、品性を重んじる優れた小説はそんなもんじゃあない、残念ながら、「だめ、いけませんわ」なんて、決してそんなふうには、ならないのであります、お気の毒さま。 男が何に悩むかというと、他人の奥さんと亭主に内緒で秘密を共有することに疚しさ、というか、耐え難さを感じているようなのです。律儀なものです、感服しました。 あんなにも奥さんに欲情していたのに、そして、いまこそ思いを遂げる条件が完璧にそろったというのに、男は、それらを一顧だにすることなく、下宿をひきはらつて、そそくさと転居してしまいます。 実に残念、こういってはなんですが、自分など凡人は、なにか大切なチャンスを取り逃がしてしまったような、なんだか後ろ髪を引かれる思いしきりで、とてもとても残念でなりません。 ああ、もったいねえ~ しかし、逆にいえば、この小説によって現代の「エロス資本」にすっかり毒されてしまった自分をあぶり出されてしまったみたいで、少し恥ずかしい気持ちもなくはありません。うん
エロではない。