「望岳都東京」の感想
望岳都東京
ぼうがくととうきょう
初出:「霧の旅」1934(昭和9)年4月

木暮理太郎

分量:約81
書き出し:天城山より笠山までむかし太田道灌が始めて江戸城を築いた時、城上に間燕の室を置て之《これ》を静勝軒と名付け、東は江戸湾を望み西は富士秩父の連嶺を軒端に眺めた所から、東を泊船亭と曰《い》い西を含雪斎と曰うたとのことである。静勝軒を題として記述した詩文に、「西嶺当※雪界天」、又は「西望則逾原野而雪嶺界天」とある句は、蓋《けだ》し実景をよんだもので、雪嶺或は西嶺は富士山を指したものに外なるまい。道灌は風流...
更新日: 2025/05/19
65c8aadc88adさんの感想

雙之川喜1941  聞くところに よると 千葉県から 富嶽を 望むと 県内の 目立つ 山々は 鋸山 くらいなので 富嶽の 雄姿が はっきりと 何処から でも 認め られる らしい。これに 反して 帝都 東京 からは さえぎる ものが 少なからず あるので むしろ 富士見の 名所 なるものが あちこちに 散在 している。丹沢 山塊 越しに 富嶽を望すると 頭頂部だけが やっと 視認 できることが あったりする だけである。

更新日: 2019/10/15
ハルチロさんの感想

大正時代に帝都東京の高台、高所から眺められる山々を解説された作品です。この作品は、雑誌等に掲載、発表された物が、いくつか収録、編集されています。作品中に挙げられている70座程の山の名称のうち、愚生が知っているものは一割五分程度で、その内、実際に上ったことのある山はほんの4座に過ぎません。しかも、遠望で山容を言い当てられるのは、「富士山」のみです。愚生には、ただただ感嘆と賞賛を挙げる作品です。