「狭山紀行」の感想
狭山紀行
さやまきこう

大町桂月

分量:約6
書き出し:茶の名に知られたる狹山、東京の西七八里にありて、入間、北多摩二郡に跨る。高さは、わづかに百米突内外なれども、愛宕山、飛鳥山、道灌山の如き、臺地の端とは異なり、ともかくも、山の形を成して、武藏野の中に崛起し、群峯相竝び、また相連なりて、東西三里、南北一里に及ぶ。武藏野の單調をやぶりて、山らしく、且つ眺望あるは、唯※こゝのみ也。明治四十年六月二十五日、降りさうにて、降らず。腦の心地惡し。午後二時頃急に...
更新日: 2019/10/04
ハルチロさんの感想

本作品は、紀行文であるが、著者が歌人であることから、紀行地の情景を読んだ句が数句掲げられている。東京近郊の里山の風景描写に句を合わせることで、雅趣溢れる文章になっているように思う。 本作品は、『狭山紀行』と題されている。『狭山』は、武蔵野の『狭山』であるが、本作品中に描かれている事物、地名などから思うに、現在の狭山市を意味する『狭山』ではなく、所沢市南西部に位置する“狭山丘陵”を著している。愚生も以前、本作品中にある『荒幡の富士』に行ったことがある。今は公園となり、句をひねる風情は遠くなってしまった。