昔々、名作というので一応読んでおこうと思って読みました。 何と無く遠い異国の物語として読んだが、読み返してみると、ぐっ、ときた。 罪とは?罰とは? 人間は皆、ラスコーリニコフと同じ罪がある。罪の源は「自分勝手」「自己中心的」な考え方である。人は誰でもそうであり、犯罪というのはその自己中の考えを他者に影響を与える程の行動をし、法律のボーダーラインを超えるかどうかで決められ、裁かれる。 ラスコーリニコフは常に自分のしてしまった犯罪に苦しんではいるものの、言い訳ばかり考えている。罪の本質が分からなくて苦悩する。自分を正当化しようとする。つまり、自己中である。 その罪を自覚する事こそが、「罰」であるという事をソーニャの存在で知る事が出来たのだろう。 ソーニャは「自己中心的」とは真逆の人物で常に他者の為に心を痛め、奉仕し、行動する。不器用ではあるが、その心は「無償の愛=神」をそこに見いだせる。それを受け入れる事が出来た時、初めて彼は「罪」を自覚し、「罰」を受ける事となる。 所謂、新約聖書のローマ人への手紙の「罪の報いは死」という言葉に繋げて、ラスコーリニコフは罪を受け入れた、そして以前の彼は死んだ(罰を受けた)。 そして、ラストのラザロの「復活」と、以前のラスコーリニコフは死んで、新しい彼に復活したという意味に繋がっていく。 …という解釈を私はしたのですが、年齢を重ねて読み直す名作はまた若い頃とは違った気持ちで読めて楽しかったです。
若い頃読んだ これは自分の事だと思った 勿論人殺しなどしていないし 生活もラスコーリニコフより裕福だったが 若い 勘違いしてた 酸っぱい思い出が なんとなくシンクロする様な ちょっと恥ずかしいけど大好きな作品
その昔 刑法の 久禮田教授から 罪と罰という字は 紛らわしいので 取り違えないようにと 注意を 喚起されたことがある。さて 大学生 ラスコーリニコフの犯罪は 二人の婦人を 殺害した ことである。独自の 理論で 武装して 実行に及んだ。罰については 流刑であり 強制労働を かせられた。罪刑の均衡を 欠くようにも 見えるけど 取り調べに 協力的などの 酌量の余地が 認められた。彼に 想いを寄せる ソーニヤは ラスコーリニコフを 追って 彼の地に 移住し 彼が 自らの愛に 気づくのを 辛抱強く 待つこととなる。冒頭の アル中及び依存症の 男たちの 執拗な 描写には うんざりしてしまう。しかしながら 中頃に コロンボ刑事にも 似た 予審判事の 登場で 知的好奇心が 充たされる。さらに 終段では 流れるような 文章で 愉しませて くれるので それらを 当てにして 読み進めるのも 手かもしれない。我ながら そも人生 罪だか 罰だか わかりにくい ものだと つくづく 想ってしまった。加えて 眼は霞むし 体の 節々は 痛むので できれば 若いうちに ちびちびと 読破されるのが 宜しいかと 愚考した。これ 老爺心という。
凄く凄く感動した♥(´;ω;`)
傑作である。