「小鹿田窯への懸念」の感想
小鹿田窯への懸念
おんだがまへのけねん
初出:「民藝 第百一号」1961(昭和36)年5月1日

柳宗悦

分量:約5
書き出し:誰にも読めぬ大分県日田の皿山たる小鹿田(おんだ)の地名が、今では多くの方々の口に上るまでに至った。つい三十年前には山間に深く隠れて、車も通わぬ無名のこの窯場が、今や内地のみではなく世界からも客を集めて、小型でもバスまでが日々通うに至った。しかし皮肉なことに、かかる急変が漸次この窯に幾多の危機を招くに至ったのを残念に感じる。今や窯を毒する様々な外敵が迫ってくるからである。実はその責任の一半は、この窯...
更新日: 2020/07/31
e4c0eb387665さんの感想

『手仕事の日本』を読んでふと大阪吹田の万博記念公園内の日本民藝館を訪ね、著者たちの貴重なコレクションの一端に触れた。骨董趣味をあいにく持ち得ないが、著者のこころの中にある手仕事から脈々と受け継がれ我々生活に密着していた古来の道具類に対する、或いはそれを作った人々へのまことの愛情と尊崇の念がこの短にすぎる記事の中にも現れていよう。和紙に魅せられて25歳でアメリカはボストンから来日し、今年2020年5月に惜しくも亡くなるまで、手すき和紙の材料の生産から技術の継承に従事しながら、新たなインスピレーションを人々に吹き込み続けたリチャード・フレーヴィン氏の信念にも通ずる、プラスチックと資源大量消費で自然界の大破壊の道を驀進する私たちのこの暮らしを今すぐ見直す必要性をも思い起こしてくれる著者慧眼の記事である。かつて道の通じたローマも滅びた。グローバル化もよくよく考える必要があると思う。金の言葉は時間を超える。

更新日: 2019/02/19
うさぎ御前さんの感想

小鹿田窯のことは最近もテレビで見たりするけれど、柳の危惧した事が起こったのか起こらなかったのかは現代の自分には知る由もない。 そして、この文章だと何を変えたくなかったのかは、当時の小鹿田を知らないといまいちよくわからない。 テレビでは、まだ飛びカンナの手法なんかは引き継がれていたけれど、多分それだけじゃないんだろうな。