『手仕事の日本』を読んでふと大阪吹田の万博記念公園内の日本民藝館を訪ね、著者たちの貴重なコレクションの一端に触れた。骨董趣味をあいにく持ち得ないが、著者のこころの中にある手仕事から脈々と受け継がれ我々生活に密着していた古来の道具類に対する、或いはそれを作った人々へのまことの愛情と尊崇の念がこの短にすぎる記事の中にも現れていよう。和紙に魅せられて25歳でアメリカはボストンから来日し、今年2020年5月に惜しくも亡くなるまで、手すき和紙の材料の生産から技術の継承に従事しながら、新たなインスピレーションを人々に吹き込み続けたリチャード・フレーヴィン氏の信念にも通ずる、プラスチックと資源大量消費で自然界の大破壊の道を驀進する私たちのこの暮らしを今すぐ見直す必要性をも思い起こしてくれる著者慧眼の記事である。かつて道の通じたローマも滅びた。グローバル化もよくよく考える必要があると思う。金の言葉は時間を超える。
小鹿田窯のことは最近もテレビで見たりするけれど、柳の危惧した事が起こったのか起こらなかったのかは現代の自分には知る由もない。 そして、この文章だと何を変えたくなかったのかは、当時の小鹿田を知らないといまいちよくわからない。 テレビでは、まだ飛びカンナの手法なんかは引き継がれていたけれど、多分それだけじゃないんだろうな。