「デカダン文学論」の感想
デカダン文学論
デカダンぶんがくろん
初出:「新潮 第四三巻第一〇号」1946(昭和21)年10月1日

坂口安吾

分量:約25
書き出し:極意だの免許皆伝などというのは茶とか活花《いけばな》とか忍術とか剣術の話かと思っていたら、関孝和《せきたかかず》の算術などでも斎戒沐浴《さいかいもくよく》して血判を捺《お》し自分の子供と二人の弟子以外には伝えないなどとやっている。尤《もっと》も西洋でも昔は最高の数理を秘伝視して門外不出の例はあるそうだが、日本は特別で、なんでも極意書ときて次に斎戒沐浴、曰《いわ》く言い難しとくる。私はタバコが配給に...
更新日: 2019/10/24
19双之川喜41さんの感想

 平野謙の「藤村の『新生 』について」。 横光利一。 肉体的な論理によって思考してない と批判する。 漱石についても 昔のつまらぬことに自責して 数十年後 自殺。 三文の値打ちもない 自我の誠実な追求が 無かったと 評する。 で 「めいめいが 各自の 独自な そして誠実な生活を求めることが 人生の目的」という。そのとおりと思った。