雙之川喜1941 生身の アンドレジイドに 街かどで 偶然 遭遇した ことが この 紀行の 最大の 収穫物 かもしれないと 感じた。邦人でも このような 異常接近は そう 多くは ないことだろう。例えてみれば 銀座で 夏目漱石を 見かけるような もので あろう。横光の 興奮に 酔う 有様が 伝わった。
二日にわたって 著者-横光は かの有名な アンドレ-ジイドと 遭遇(そうぐう)する。それらは 車中と モスクワのホテルである。ジイドは 人命を ないがしろにする ロシアに 人命尊重(じんめいそんちょう)を 強調(きょうちょう)する。しかしながら 露国の 人々は 今も 昔も 性懲(しょうこ)りなく 人道に 反する ことを 執拗(しつよう)に 繰り返していることが うかがえる。蛙の面に 小便とは このことかと 想った。
近頃 ドーム型の 大球場で 国籍の 別け隔てなく 惜しみなく 声援を 送る 観客の 様子が 日本でも 話題となった。オリンピック観戦の 特派員として 欧州に 派遣された 横光は 当時 村社(むらこそ)-西田-大江に 対する 拍手の波は 満場 割れんばかりの 応援であり 日本の 観衆に おいても かくの如く 公明に 美しく あらんことを 望んで 止まないと 記した。時は流れて 我が国も 横光の 念じたように あい成った。 横光は モスクワで 世界第一の 精神界の 偉人である ジイドを メトロポリスという 彼の 定宿で 見かける。わたしは 横光は 貴重な 歴史的人物の 目撃者と 想った。そして 何より 人命を 尊重しなければ ならぬとする。この意識の 強さが 種族の知性であり 一切の 文化の 根底をなすものだとする。プーチンチンは ジイドからも 学ぶべきことを 学び 損ねたやうにも 感じた。