「新刊紹介」の感想
新刊紹介
しんかんしょうかい

〔伝説の時代〕

〔でんせつのじだい〕初出:「青鞜 第三巻第九号」1913(大正2)年9月号

伊藤野枝

分量:約2
書き出し:伝説の時代タマス、ブルフインチ著野上彌生子訳定価弐円尚文堂発行七百頁に近い大部なもので、全部四十一章に別れてゐて古代|希臘《ギリシア》羅馬《ローマ》の神話東方北方の伝説が残らず集まってゐる。訳しぶりが如何にも自由で平易でちつともギコチないところがなくて読んで行くうちに、やさしいお母さんのお話でも聞いてゐるやうな気持になる暖か味を感ずる。活き/\した自由な拘束のない古代の神々や英雄ののんびりした、何...
更新日: 2022/04/07
cdd6f53e9284さんの感想

誰彼構わず噛みつくような伊藤野枝の舌鋒鋭い批評文を読み慣れている者にとって、このベタ褒めの新刊紹介❮野上八重子(当時)訳「伝説の時代」❯には、かなりの違和感がある。 これではもう、ほとんど宣伝文だ。 伊藤野枝が書いた他の文章を読めば分かるが、他人をそう簡単には褒めるような御仁ではない。 なので、背中がこそばゆくなるようなこのベタ褒め文章を素直に読むことができなかった。 やはり、この本の「序文」を漱石が書いていることが大きく効いているのだろうか。 まさかね、と思いながら、漱石全集を引っ張り出した。 漱石全集第十一巻の「序文」の項にこの一文は分類されているが、これは本来は野上八重子(のちに弥生子)自身に宛てて出された私信で、文面の最後で漱石は、 「序を書きたいのは山々ですが序らしい序が書けないので此の手紙を書きました。もし序の代わりにでも御使いができるならどうぞ御使い下さいまし」 と書いて序文として使用することを許している。 また、文中で漱石は言い訳するように書いているが、聖書もギリシャ神話も精読していない自分などが、序文を書いてもいいのかという思いもあって❮私信→序文❯という手順を踏んだものと考えられなくもない。 いずれにせよ、どんな形であれ、漱石の序文は書かれたわけだから、それなりの状況(野上豊一郎の存在の影響)とこの本を書いた八重子の仕事への評価があって執筆されたことは確かだろう。 主婦として育児や亭主の世話をしながら僅かな時間を積み重ねて為された八重子の労力には感服したと漱石自身も書いているのだから。 その部分で漱石は、こんな面白いことを書いている。 ❮ギリシャのミソロジーを知らなくとも、イプセンを読むには殆ど差し支えないでしょう。もっと皮肉にいうと、人生に切実な文学には遠い昔の故事や故典はどうでも構わないという所につまりは落ちて来そうです。あなたもそれはご承知でしょう。それでいてこんな夢のようなものを八ヶ月もかかって訳したのは、恐らく余りに切実な人生に堪えられないで、古い昔の、有ったような又ないような物語に、疲れすぎた現代的の心を遊ばせるつもりではなかったでしょうか、もしそうならば私も全く御同感です。······弱い神経衰弱症の人間が無闇に他の心を忖度していい加減なことを申して済みません。もし間違っていたら御勘弁を願います。❯ ズバリ、苦しみながら、それでも小説を書き続けていることで世間と折り合いをつけて自分を保てると悟った、まさにこれが漱石の本音だ、とともに、あなたもそうなんだねと野上八重子に共感したのかもしれない。 こういう序文を読んでしまったら、いかに伊藤野枝といえども、むやみやたらに噛みつくことができなかったのであろう。 これは単なる邪推だが、伊藤野枝は野上八重子に対して、なにか負い目のようなものを持っていたのではないかと、なんとなく感じた。 もちろん根拠なんてものは何もないが、青鞜が創刊された明治44年、26歳の八重子は青鞜社に入社したが、翌月にはすぐに退社している。 果たして、何があったのだろう。 そうでなくとも男女関係に対して奔放で囚われない一種ルーズなものが伊藤野枝の周囲にあっただろうから、まだうら若い女性には堪えられないものがあったことは想像できるが、しかし、退社後も青鞜には投稿だけは続けている。 伊藤野枝が、この新刊紹介を書いた同じ年に野上八重子は、青鞜に「ソニア·コヴァレフスキーの自伝」の翻訳の連載を始めている。

更新日: 2022/04/06
decc031a3fabさんの感想

シンプルなんだけど、内容だけではなく、本の装幀や挿絵を褒め称える紹介になっていて、手に入れたいという気持ちにさせる。作者名に惹かれたけれど、伊藤はしっかり仕事も出来たんだな。