その一年
そのいちねん
初出:「文学界」1958(昭和33)年8月号分量:約97分
書き出し:遠く近く形をかえてつづいて行く両側の丘や森に、残照はもはや跡もなかった。風も冷えてきていた。低い山の裾をまわり、保土ヶ谷をすぎるころから、黄昏《たそが》れが深くなった。米軍の軍用トラックはいちだんとスピードを増しはじめた。並行して土手の向うを走っている東海道線の、下り列車の窓に明りが灯っている。小畑信二は薄暗いトラックの幌《ほろ》のなかで、あとへあとへと動く風景を見ていた。黒みをおびた沿道の松の枝...