今と比べると、随分ミステリを取り巻く状況が変わっているように感じた。信じがたいぜ。
感想、というよりもオナニーにすぎない駄文をもって文学を語ろうとする滑稽さと哀れさを今一度見つめ直してもらいたい。先に記している彼は文学を定義出来ていない自分の不見識を棚に上げ、娯楽要素を含むことが文学足りえない前提条件のように書いている。探偵小説が再読に堪えうるかという点については普遍的な事象について書いたものよりも不利で当然である上、その要素だけで描かれる探偵小説など一読の価値もない。文学を何か特別なものと思い、それに思いをはせる自分をまた特別だと思いたいのだろうが、君は大乱歩の論評に対して半歩ほども及んでいないのが現実である。
今のところ、探偵小説は文学ではない。謎と論理を第一に考えると、探偵小説は文学とは乖離せざるを得ない。カラマーゾフの兄弟を探偵小説だとは言えない。日本の探偵小説は英米の作品に比べて文学的であるが故に探偵小説として劣っている。しかし、果たして本当に探偵小説文学というジャンルの創設は不可能だろうか?俳諧を芸術哲学にした芭蕉のような天才が探偵小説の分野に現れたら夢ではない。というようなことを乱歩が述べているが、天才は平成になっても出現してない。文学作品は何度読んでも面白いが探偵小説は再読はしない。その意味でもカラマーゾフは探偵小説のはずがない。