「動物界における善と悪」の感想
動物界における善と悪
どうぶつかいにおけるぜんとあく
初出:「教育学術界」1902(明治35)年12月

丘浅次郎

分量:約17
書き出し:善とは何か、悪とは何か、善はなにゆえになすべきか、悪はなにゆえになすべからざるか等の問題は、すでに二千何百年も前のギリシア時代から今日にいたるまで、大勢の人々の論じたところであるが、昔の賢人の説いたところも、今の学者の論ずるところも、みな万物の霊たる人間についてのことばかりで、他の動物一般に関したことはほとんど皆無のようであるから、この点について日ごろ心に浮かんだことを試みに短くここに述べてみよう...
更新日: 2019/10/27
19双之川喜41さんの感想

 猿やカラスの 善悪の感じようについて 考えたことも なかったので ためになった。 生態学や倫理学の語源が ギリシャ語の習慣から来ているそうで その点からも 論証が 必要という。

更新日: 2017/05/24
41cba2220ccaさんの感想

面白かった いわゆる下等生物の道徳を知ることによって 1→2→3→ と数字が続くようになおも変動する人間の道徳、すなわち法の進化すべき方向などがわかってくるのかもしれない

更新日: 2017/04/27
4798d837134cさんの感想

ちょっと物足りない。 目新しい発見が無かったせいかも。

更新日: 2017/04/25
芦屋のまーちゃんさんの感想

動物に意思はあるか?  本能と言う言葉は便利だ! 動物一般に適用しておけばよい。 人間においても性犯罪などの類は 意思というより本能からくる行為ではあるまいか!!! 善悪の区別がなくなる瞬間である。 猿には善悪の意思がある、という。 基準は一定ではないが、本能だけで団体行動はできない、らしい。 ボス猿の存在が掟であり法律である。 リーダーは強くなければならない。 隙を見せれない。虎視眈々とその座を狙うナンバー2がいる。戦いに負ければ敗者が悪で、勝者が法であり善である。確かに、本能だけでは説明がつかず、意思(のようなもの)が猿の世界には存在するのかも知れない。 恋愛感情もありそうだ! ボス猿に近づく女猿達の中から選ぶ基準は好みという名の「意思」で、それが彼の「善」なのだ!