「正岡子規君」の感想
正岡子規君
まさおかしきくん
初出:「日本」日本新聞社、1902(明治35)年9月27日、10月3日、10月4日

伊藤左千夫

分量:約11
書き出し:子規画「左千夫像」(明治33年頃)吾が正岡先生は、俳壇の偉人であって、そしてまた歌壇の偉人である。万葉集以降千有余年間に、ただ一人あるところの偉人であるのだ。しかるに先生が俳壇の偉人であると云うことは、天下知らざるものなき程でありながら、歌壇の偉人であると云うことを知っているものは、天下幾人も無いと云うに至っては実に遺憾と云わねばならぬ。先生の訃音が一度伝われば、東都の新紙は異口同音に哀悼の意を表...
更新日: 2019/10/24
19双之川喜41さんの感想

 下総の人 長塚節 (たかし)は 子規の養子 であるとは 初耳である 。初めて 子規に   面会した時に 節(たかし)は 正岡子規 の 数十種の和歌を 暗誦していたという。 それ以来 交流を続け  養子縁組に至ったらしい。 正岡子規は 長塚節から 和歌も  評価されたのが とりわけ 嬉しかったのかなと 思った。