暗がりの乙松
くらがりのおとまつ
初出:「キング」大日本雄辯會講談社、1936(昭和11)年9月号分量:約32分
書き出し:一居合腰になってすーと障子を明ける、そのまましばらく屋内のようすを聞きすましてから、そっと廊下へ忍び出た。とたんに、※きりぎりす袖も袂《たもと》も濡れ縁に隣の部屋から、さびた良い声で唄いだすのが聞えてきた。「——またか!」野火《のび》の三次《さんじ》は舌打をして居竦《いすく》まった。ここは伊豆の修善寺、佐原屋《さわらや》という湯治宿の二階だ。まだ駈け出しの小盗人野火の三次は、江戸の仕事に足がついて...