過去の時代には存在したかもしれない女性かもしれないが現代では考えられないと思ったのが正直な 感想です。大義に命をかけるのはなにも武士だけの専売特許ではない。誰のためかは別にして古今東西見られる現象。自分の耳目で悟ることなく盲目的忠義は危うい。 多種との共存を胸とし排他性を避ける事が寛容に思える。
人生の節目ごとに何度も読み返したくなる作品。
やっぱり『山周』は、よろしいです。
心に残る読後感!
手塩にかけて 育て上げた 男の子 を 返さなければ ならないことになる。 署名のない 付け文を 受け取ったけど やむなく行きそびれてしまう。 菊屋敷での明け暮れを 預かった子供と 名を秘す幻の恋人への思慕を 中心に 話は進む。 詩情溢れ 静かな感動が 胸に広がると感じた。
大原富枝の「婉という女」などと比べてしまうと(比べる方がおかしいのだが)、山周には情念がない。人物もストーリーも掴みやすい、頭で書いた小説。中間小説たる所以か。さらっと読めてしまうのだが、のこらないなあ。
読み終わった今、濃い靄の朝に志保が菊をつむ鋏の音が聞こえそうなほど彼女を身近に感じる。 自分ではどうしようもできないことで運命の舵がきられ、過ぎたものは二度と帰らない。寂しいが希望に満ちた物語だ。 志保という名の通り、たくましく芯のある女性と気持ちを重ね、夢中で読んでしまった。強さ、そして愛とはこういうことだと教えられる気がした。己の感情より相手の気持ちを思い、志保が自分のエゴを顕かにすることはない。わがままな女ほどかわいいなんて、そんな昨今の恋愛バイブルからすれば志保はかわいくない女だ。だからこそ、志保の心を唯一覗ける読者は、つい彼女を応援してしまう。女の幸せ、なんてものがもしあるなら、彼女にそれを掴んでほしいと望む。一方、彼女は女の生き方が多様であることを示しているようでもある。女の幸せというと、やれ結婚だ出産だとまるでひとつのように思われるが、本当にそうなのか。 志保が手にいれたもの、いれられなかったもの、突き抜けられなかった壁があるとすれば、なぜ彼女は突き抜けられなかったのか。「女性」を考える時につきまとうものが、頭の中で渦巻く。