山本周五郎23歳位の作品みたいですね。 作中に登場する康子における生きている目的、そして清三における生きる目的とは、に思いを馳せています。 こういう人の心の機微はいかようにも解釈があるでしょうが、つい創作物においては答えを求めてしまいます。
康子が独身であれば、年上の女と清三との純情な恋物語であるが、人妻との恋愛は不倫であり、この小説の場合は、康子が無責任である。
作品の舞台となる地域に住んでいたので読んでみました。約100年前の話なので当時の風景は想像もつきません。 三人の家のある月見山から須磨海岸までは南に1キロ弱。今は海岸部は須磨海浜公園として整備されていますが、昔はずっと松林が続いていたといわれます。 月見山から須磨寺までは西方向に今の私鉄でちょうど1駅。お寺は須磨寺駅で降りてそこから北に上がります。お参りする人が多いです。美しい若武者平敦盛ゆかりの寺なのですがこのお話には関係がないようです。 康子みたいな女性は時々いますよね。きっと退屈してたんでしょう。純情な男性だと翻弄される。まあ、良い経験になったと思うしかない。
主人はアメリカ支店、須磨に住むその奥様と精神を癒やしに来た義理の弟の友人とのniceなメロドラマ
何とも言えない「情」がある作品でした。山周は、いつもよろしいですバイ。