樅ノ木は残った
もみノきはのこった
03 第三部
03 だいさんぶ初出:「日本経済新聞」1956(昭和31)年3月10日~9月30日分量:約434分
書き出し:川の音七月中旬の午後、——ひどく暑い日で、風もなく、白く乾いた奥州街道を、西にかたむいた陽が、じりじりと照らしていた。「そうだ、あいつだ」と伊東七十郎は歩きながらつぶやいた、「どこかで見た顔だと思ったが、たしかに彼に相違ない」七十郎は、片方の手で額をぬぐった。手の甲に、べっとりと汗が付き、髪の生え際には、汗が乾いて塩になっていた。着ている生麻《きあさ》の帷子《かたびら》も、袴《はかま》も、汚れてほ...