「日本婦道記」の感想
日本婦道記
にほんふどうき

二十三年

にじゅうさんねん初出:「婦人倶楽部」大日本雄辯會講談社、1945(昭和20)年10月

山本周五郎

分量:約30
書き出し:一「いやそうではない」新沼靱負《にいぬまゆきえ》はしずかに首を振った、「……おかやに過失があったとか、役に立たぬなどというわけでは決してない、事情さえ許せばいて貰いたいのだ。隠さずに云えばいま出てゆかれてはこちらで困るくらいなのだから」「それでお暇が出るというのはどういうわけでございましょうか」律義に坐った膝《ひざ》をいっそう固くしながら多助はこう云った、「……あちらで今よく話してみたのですが妹は...
更新日: 2022/05/01
ba5194e78df6さんの感想

なんと、切ない転回考えてしまう

更新日: 2021/06/20
f4eb2ac81911さんの感想

そこまでやるか?できるものなのか?と思ったけどなるほどそういうことか。 女の心は女のみ知る。 若くして小さな子供を残しひとり死んでゆかねばならないイケメン歌舞伎役者の妻、そんな人がいたけど、その心中の無念を思えば…。 それにしても思うことは命の使い方だ。 現代人は自分のために生きて死ぬ、それが当たり前の考え方だ。 しかし江戸時代の人は自分以外の何ものかのために自分の命を使おうとする、それを喜びとする。 だから現代人に比べて潔いしきれいだ。 若いおかやには縁談だってあったのに…。 人間の一生の満足とは自分が幸せになることか、それとも自分はさておき誰かを幸せにすることか、はたして。