西欧の諸外国とは違う土壌に根付いた民謡、俚謡、俗謡の世界にグリークラブは多分著者の生きた時代には余りに異質な音楽体験に違いなかったはずで、今でも日本ではトライバルな性質に変質してしまう音楽の外来種についても同じだと思う。理想主義は無いよりマシ、音楽自体も無いよりある方がいいけれど、人々を結合し化合させ、或いは本来の音楽が商業的に成功するだけの識別装置として機能するだけならば、その命も短いものではないか。そんなことを考えさせられる一文であった。川上音次郎のオッペケペー節は許容せられたろうか。ウィーンのCharivari、ドイツのKatzenmusikのようにすぐさま民衆自体から音楽が身近に発生する民族ではこれからもなさそうであるし。