正宗白鳥は早稲田在学当時、早稲田の掲げる「学の独立」を西洋の学問を日本語に訳して学ぶことだと思っており、今(1938年)はそれだけの意味でもなくなってきたようだ…と評している。 確かに早稲田は早くから日本語での講義を行ってきたが、「学の独立」とは学者が時の政治や経済的事情などの制約に翻弄されず、自由な批判精神のもとで学問を究めることが本来のねらいであり、これは現在の早大ホームページにも記されている。 白鳥の認識は甘いと言わざるを得ない。
学問の独立が 英独仏などの 外国語ではなく 日本語で 学問をするという 意味であった時代も あったようだ。 つまり 横のものを 縦にして、有り難がっているだけでは いけないという意味かも知れない。 過渡期には やむを得ない面も あったとは思う。
よくわからん
学問の独立? 元来、日本国は島国で長きに渡り鎖国という外との文化や商業交流を断った時代もあった。西洋諸国は国境を行来する習慣があり、また戦争によって領土が奪われたりして、学問が入り乱れている。 明治時代に学問の独立などという運動があったのは寧ろ江戸時代の閉鎖的文化への憧景もあったのではなかろうか?西洋のものは全て正しく、学問とは西洋の思想を学ぶこと、という考えに島国根性が目覚め、反旗を翻した。 日本の文化学問は西洋の文化の模倣にすぎないと言われることもある。着物で日常過ごしているのは京都の呉服屋の旦那くらいかもしれない。 しかし、オリジナルの上を行く性能品質を有しているのが[メイドインジャパン]なのだ!粗悪な中国製とは違うというプライドがある。