大隈重信演説談話集のすべてが、青空文庫に収載されていると知り、まず、最初に岩波文庫の冒頭に載っているこの記事から読んでみた。 実際に読むときは、持っている紙の本で読むことにする。 やはり、自分的には読みやすいからだが、しかし、だからと言って、これが青空文庫に収載していないとなったら、果たして読むかどうかは、微妙なところだ。 なるほど、実際に読んでみて、読む前に感じていた予感は、あながち間違っていなかったことが、やはり最初の数行ではっきりした。 こうある。 ❮今日の青年は中学を卒業してから少し筆が立つとか、文学上の事でも研究すると直ちに俺は文学者になろうの新聞記者雑誌記者になろうのという考えを起こし、小説のひとつも書いてみたり論文のひとつも綴ってみて、いっぱし文学者になった気になる連中が多い。勉強もしなければ発達もしない。 次第次第に怠け者になり柔弱になり、少しも青年の元気というものがなくなってしまう。 不心得千万なことだ。❯ 当時、新聞記者だとか雑誌記者だとかが世間からどう思われていたかが、この一文を読めば、よくわかる。 やはり、マスコミとかメディアなどというものは虚業ということだったのだろう。 せめて、現代にあっては、そうじゃなくなっていることを祈るばかりではある。
いっぱしの文学者気取りの学生を非難しているが、将来、某に成ろう!という志は尊いことだ。 小説の一つでも書く なんてスバラシイではないか! 大隈大先生は学生は先ずは勉学に励み、十分に研究し、極めた後、に初めて天職を決めろ、と保守的だ。 残念無念。 挫折も活力と思うが!