「正と譎と」の感想
正と譎と
せいとけつと
初出:「アトリエ 第九巻第一号」1932(昭和7)年1月1日

高村光太郎

分量:約2
書き出し:竹田流に言へば、ピカソは譎にして正ならざるもの、ドランは正にして譎ならざるものだ。譎とはたばかる事ではない。意匠に急なる事だ。正とは表現そのものに急なることだ。大雅の畫が表現の畫であり、春星の畫が意匠の畫である事は明らかである。芭蕉の稱する正風とは檀林の意匠文學から、表現そのものに歸る事を意味してゐる。芭蕉の正風を通過して其角は再び新鋭の意匠文學に傾いた。正と譎とは互に微妙な關係を保持しながら、い...
更新日: 2021/10/18
decc031a3fabさんの感想

譎の本来の意味は偽る、騙す、欺くなど。この文では意匠に急なるものとしている。装飾に工夫を凝らすと言うから、決してこの作者は悪い意味に用いていない。 ピカソは譎によって新境地を拓いていくけど、その出発は頭脳の命令として、隙がないと評して、その対角としてマチスに代表される野獣派で有名になったけど、正の表現に回帰してきたようなドランを例に挙げ、マチスを起点に2直角を成すのはピカソとドランと上げたんだな。 さらに現代画会に偉大無しとは、この文が掲載された昭和6〜7年時には、まだピカソもドランもバリバリ活躍中だったから、敢えてこう書いたんだろうな。

更新日: 2021/03/18
いちにいさんの感想

意味不明