譎の本来の意味は偽る、騙す、欺くなど。この文では意匠に急なるものとしている。装飾に工夫を凝らすと言うから、決してこの作者は悪い意味に用いていない。 ピカソは譎によって新境地を拓いていくけど、その出発は頭脳の命令として、隙がないと評して、その対角としてマチスに代表される野獣派で有名になったけど、正の表現に回帰してきたようなドランを例に挙げ、マチスを起点に2直角を成すのはピカソとドランと上げたんだな。 さらに現代画会に偉大無しとは、この文が掲載された昭和6〜7年時には、まだピカソもドランもバリバリ活躍中だったから、敢えてこう書いたんだろうな。
意味不明