双之川喜1941 戦争が 終わっても 地下の 防空壕で やむなく 生活せざるを えない人は そこそこ 見受けられた。全財産を失った 国民の 慰めは 永遠の 眠りしか ない。 人々の 悲惨さは 思い出したくもない 歴史である。
戦争で何もかも失った庶民の境遇を、彼等に寄り添うように描いた佳作。現代の私達は嘗てこのような辛酸を舐めてきた日本人が大勢存在していたことを忘れることは出来ない。力もなく声も小さい人たちは容易く時代の責任を負わされる。
どちらかというと、いままで林芙美子の作品を自分はわけもなく敬遠してきたかもしれない。 しかし、予備知識として「ずるくて、男にだらしないない女流作家」なんて散々なことを吹き込まれたら、そりゃあ誰だって、あえてその人の小説など読みたいなんて気も起こるわけがない。 自分にとって林芙美子とは、いままでそういう作家だった、というか「距離」だった、といった方がふさわしいかもしれない。 偉大な作家の作品をそのような偏見のために遠ざけてきてしまったことは、返すがえすも残念で、かつ大きな損失だった。こんなふうに無意味に失ってしまった時間をどうしてくれるのだ。 上記のろくでもない偏見を公共の電波を使って垂れ流していたのは、朝鮮人の方の関口宏、まったくどうしようもない野郎だ。女房の尻に敷かれて国を売る気か。ばか野郎 だから、いま、自分は、他人の偏見によって損なわれた知識と奪い取られた空白の時間を必死になって埋めている。読書によってね。 この「なぐさめ」という作品の静謐な気品には、真実打たれた。 愚劣な戦争によって、すべての希望を奪われ、 絶望の中で酔いしれ、疲れ果てて、ついに、虫けらみたいな人生を、夜更けの冷たい路上で惨めに終わろうとしている男、この救いのない物語に「なぐさめ」とタイトルする感性は、まさに詩人のものだと言わねばならないだろう。