石原純
八十五歳で 世を去った玄白は 解剖が厳禁であった当事に 獺(かわうそ)を 人体の代わりに 腑分けを 試みたりして 研鑽を積み重ねてはいたけれど 老衰が日に迫るのを 自覚し 弟子であった玄沢(げんたく)に 託して 集大成とでも言うべき書を 著した。明治維新の直前に それに 眼をとめたのが 福沢諭吉であったと言う。この先人達の 心意気が 今でも 脈々と 伝わっているかは 解りにくいと 感じた。