「杉田玄白」の感想
杉田玄白
すぎたげんぱく

石原純

分量:約13
書き出し:江戸時代の医学自然科学のいろいろな部門がすべてそうであったように、医学もまた我が国でだんだんに発達して来たのは明治以後のことでありますが、しかしそうなるまでにはやはり江戸時代の終り頃に多くの蘭学者たちによって西洋の医学がさかんに輸入されたことを見のがしてはならないのです。もちろんそれ以前にも我が国に医術というものが無かったわけではないのですが、それらはただ個々の経験を集めたようなものであって、まだ...
更新日: 2020/08/24
19双之川喜41さんの感想

 八十五歳で 世を去った玄白は 解剖が厳禁であった当事に 獺(かわうそ)を 人体の代わりに 腑分けを 試みたりして 研鑽を積み重ねてはいたけれど 老衰が日に迫るのを 自覚し 弟子であった玄沢(げんたく)に 託して 集大成とでも言うべき書を 著した。明治維新の直前に それに 眼をとめたのが 福沢諭吉であったと言う。この先人達の 心意気が 今でも 脈々と 伝わっているかは 解りにくいと 感じた。