「裸体美に就て」の感想
裸体美に就て
らたいびについて
初出:「文藝春秋 第十三年第一號(新年特別號)」文藝春秋社、1935(昭和10)年1月1日

小倉右一郎

分量:約5
書き出し:近時我國婦人の身長が伸びて、プロポーシヨンが非常に能くなり、私共の學生時代に比して實に隔世の感があります。乍然、此婦人の身長が急に伸びたので、未だ歐洲人の樣に腰の幅の廣く無いのは寔に遺憾であります。此腰の幅を廣くする事、即ち太く逞しくする事は、仲々六ヶ敷い事ならんも、今後二十年も體育に努力する内には發達する事かと思ひますが、要は小學校や女學校の女子運動に希望を掛ける者であります。前述の如く、我國婦...
更新日: 2022/02/03
cdd6f53e9284さんの感想

塑像するのには、着衣だと描写が困難煩雑だから、初心者の練習台は、もっぱら裸体に限られている、その結果、展覧会の出品作品といえば裸体像ばかりの林立と相成る次第、という芸術論。そういう安直な事情を知ってしまうと、芸術家志望者ばかりとはいえ、また、些かの賃金をもらったからとはいって、見ず知らずの他人の前で裸になる娘さんたちの気持ちや如何にという感慨というか、むしろ危惧を禁じ得ない。なにしろ連中は、その裸体をなめ回すように、じろじろと無遠慮に観察しながら、あの貧弱さならまだ処女だなとか、あの垂れ下がり具合からすると男たちからもう相手にされてないのだろうとか、あっ、あの体からすると昨晩やってきたばかりだとか、まあそういうふうに好奇好色な目でモデルさんは見られてますよ、という芸術論。あぶない、あぶない。

更新日: 2021/10/14
decc031a3fabさんの感想

彫刻で服を造るのは難しいだろう。布の質感や動きに応じて出来る皺…というか着ている服って、そのモデルのセンスを表す物だから、作者にとって「自分の表現をしたいのに邪魔」となる。とはいえせっかく展覧会に出した自分の作が、他の作品と変わらないとなると、これは考えなきゃならないだろうな。この文は変わった物を造れとは決して言ってないし。

更新日: 2019/06/14
cb06b68471b9さんの感想

どのように実験したのか気になります。