「個人的な余りに個人的な饒舌」の感想
個人的な余りに個人的な饒舌
こじんてきなあまりにこじんてきなじょうぜつ

=龍之介対潤一郎の小説論争=

=りゅうのすけたいじゅんいちろうのしょうせつろんそう=初出:「文学界 第五巻第七号」1951(昭和26)年7月1日

佐藤春夫

分量:約22
書き出し:一白鳥先生のあとを承けてこの稿を草するのはわが光栄とするところである。だが文学史的に回顧するとすれば、逍遙対鴎外、透谷対愛山の論争につづくべきものは大町桂月対新詩社の「君死に給ふこと勿れ」に関する論争を取上げるのが至当であり、それにつづいては更に自然主義時代の諸論客中に然るべき論争もあるのを無視して一足飛びに初頭とは云へ大正ならぬ昭和時代の龍之介対潤一郎の小説論の争ひでは、少々年代が飛び過ぎるし、...
更新日: 2020/12/30
ねこむらさんの感想

芥川没後に佐藤が「話のない小説論争」を読み解く。佐藤の、芥川と谷崎に対する親しみが感じられる文章です。芥川の『文芸的な、余りに文芸的な』で挫折した人にもお勧め。 「そもそもあれは論争ではない、二人の楽しい文学談議だ」「新しい概念を提唱している芥川の言い分が分かりにくいのは当たり前」「谷崎は小説の保守派ど真ん中、筋の面白さが大事なのは当然」など佐藤センセイがポイントを示してくれるので、『文芸的な~』が読みやすくなります。芥川が言わんとする(した)ことを、噛み砕いて理解しようとする佐藤の姿勢が温かい。「アンタは難しくしゃべりすぎなんだ、要はこういうことでいいか?」と佐藤が芥川に語りかけるような絵が浮かびます。