「ラヂオ閑話」の感想
ラヂオ閑話
ラヂオかんわ
初出:「文藝春秋 第十三年第一號(新年特別號)」文藝春秋社、1935(昭和10)年1月1日

成沢玲川

分量:約9
書き出し:※新聞社から放送局へ轉じて一番先に欲しくなつたのはラヂオ・セツトのいゝのである。持合せのペントード式のは東京しか聽けないので、米國製のスパートンといふ小型のポータブルを備へつけた。五球で中型の置時計ほどのサイズ目方も輕く革製のカバンがついてゐて旅行に携帶もできる。アースを取る必要もなく、二三間あるアンテナは糸卷のやうものに卷きつけてある。一寸そこへらへ引掛ければいゝ。第二放送のある今日、家庭にラヂ...
更新日: 2018/12/15
いちにいさんの感想

久しくラヂオを聞いていない。 そもそも手元にラヂオがない。 walkmanは有るがイヤフォンが壊れて聞けない。 小学校時代は、確かに外国放送を訳もわからず聞いてた記憶がある。 オーストラリアの笑いカワセミの鳴き声を聞いた?記憶が何となく心に残る。 短波放送がブームだったはずだ。 中学時代は深夜放送の時代。 野球のようなスポーツもラヂオで聞いてた。 目が疲れることはあるが、耳が疲れるとは言わない。ハードロックやヘビーメタルなどを耳元でガンガンやられない限りは、音楽などはラヂオが適していると思う。 壊れてるwalkmanも音楽プレイヤーなのだ。