「小林多喜二のお母さん」の感想
小林多喜二のお母さん
こばやしたきじのおかあさん
初出:「ゆきのした 第四号」1952(昭和27)年5月1日

中野鈴子

分量:約3
書き出し:小林多喜二のお母さん中野鈴子小林多喜二のお母さんあなたの長男である多喜二さんが死なれてから十九年の日が流れていますそしてあなたは八十才になられましたこの十九年の年月はお母さんにとってどのようなものでありましたでしょう戦争が敗けて日本共産党の人たちが赤い旗をかかげて刑務所から出てきた時あなたの喜びとかなしみはどんなでありましたでしょうその人たちが子供も育っている家庭を形作っているのをながめられたとき...
更新日: 2018/09/05
いちにいさんの感想

「死」について、矢張り考えねばなるまい。果たして、幸せな「死」などあるものかどうかということを。 多喜二の死は、読むに敢えない酷い拷問死である。どれ程、痛かったろうか、想像を絶する。多喜二は共産党員だったので拷問死した。しかし、右翼(国民全体が右翼化した)は戦地で死んだ。地雷を踏んで、片足、片手が吹っ飛んだ。即死でなければ、拷問以上の苦しみだ。結局、戦争は右翼も左翼も殺すのだ。ならば、病死は幸せか?脳や心臓の血管系の疾患、癌その他、少なくとも、ベッドや蒲団で死ねれば幸福か?眠るように死ぬ、とは老衰、天寿を全うした死のことだ。人間としての最高の人生だろう。一番許せないのは、死ぬ権利など主張する輩だ。文学者どもの大半が自殺する。太宰など四回も自殺未遂を繰り返す。入水自殺などではなく、多喜二と同様の死に方で自殺してみろと言いたい。指を逆さに折る、などと読むだけで身体中が痛くなる。恐ろしい!もがき苦しみ死んでみろ!五体満足のくせに、何故死に急ぐのか?虐めを苦に自殺をする若者はどうか?同情したくはなるが、死ぬ位なら、何でもできるのでは?と大人の立場からは言える。苛めっ子リーダーと決闘を挑む。負けるのではない。殺されるのだ!苛めっ子を少年Aにさせるのだ。復讐するのだ。死を以て、自己を犠牲にするのだ。あるいは、苛めっ子を殺してしまえ!警察に捕まり、裁判で死刑になるのだ。望み通り死ねる。まあ、でも、その前に多喜二の蟹工船でも読んでみたらどうだい?

更新日: 2018/05/06
057a8de07445さんの感想

短い文なんですが、私はそこから小林多喜二という人を知り、彼の境遇を知り、そして彼のことを常に心配していたお母さんのことを知り、そして筆者の立場も知るようになりました。当時は資本主義の中、共産主義が芽生え、共産党が活躍し、プロレタリア文学も非常に盛んでした。しかしそれが政府の統治に障り、人々の思想に衝撃を与えたため、当時の政府はプロレタリアートに粛清を行いました。そのためプロレタリアートの多くは被害され、小林多喜二の場合はもっとひどく、虐殺されたとも言えるでしょう。そしてこの文は小林多喜二が亡くなられた19年後に、そのお母さんに書いたお手紙ともいえる文です。19年後のお母さんは80歳で、自分の息子の死を経験した19年後の年です。筆者の筆によると、お母さんは小林多喜二のことを愛していて、小林多喜二が暑すぎて裸になっても創作している時も、うちわで冷やしてあげましたという。そのようなお母さんはもちろん自分の息子のしたことを正しく思われるでしょう。しかしそれが政府によって砕かれました。一人のお母さんとして、自分の息子が政府によって虐殺されたことは、彼女にとってどれほど苦しむことでしょうか。それが北海道の田舎で余生を送っているとのことですが、一人のお年寄りには何ができるでしょうか。ただ胸の底から煮えくり返りつつ過ごすよりほかありません。

更新日: 2018/03/09
芦屋のまーちゃんさんの感想

「人間のふしあわせは 働いても働いても食えないということ」 一握りの非道な権力を倒すこと 資本主義だろうが共産主義だろうが アリやハチの世界だろうが 特権階級の地位身分は存在する 金持ちは常に金持ちで貧乏は必ず貧乏なのだ 多喜二はプロレタリアートのために作品を書いたのか?「食うため」に原稿料が欲しいために書いたのではないのか?逆に、金のために作品を生んだ方が真のプロレタリアートではないのか?ボランティア精神はウソだ!ブルジョアの暇つぶしだ 明日の米をどう作るか?食うか死ぬか 個人主義、利己主義である 他人の米を奪ってでも食らいつくだろう そこにはイデオロギーなど存在しない 思考のすべては「食う」こと 資本主義、共産主義を唱えても空腹は永遠に満たされない