「芥川賞の人々」の感想
芥川賞の人々
あくたがわしょうのひとびと
初出:「現代日本文学全集 第87巻月報86」筑摩書房、1958(昭和33)年3月25日

佐藤春夫

分量:約7
書き出し:僕は第一回以来の芥川賞詮考委員である。あれはいつからであつたらうか。何しろ二十年もむかしの話で、おほかたは忘れてしまつてゐる。さすがに第一回だけに、石川達三の当選の時のことだけは、おぼろげながらにも記憶にある。会場は両国へんのどこかに、大川を見ながら詮考が進められたのは初夏か晩夏であつたのであらう。菊池と久米とが積極的に意見を交換してゐるほかは、誰もあまり活※な発言はなかつたやうに思ふ。だから第一...
更新日: 2022/03/09
cdd6f53e9284さんの感想

最初の一文、「自分は、第1回以来の芥川賞の選考委員である」を読んだとき、すぐに、これは以前、文藝春秋が出した「芥川賞全集」の前書きだろうなと早とちりした、 それは誤りだったが、確認ついでに、第1巻を引っ張り出した。 受賞作は、石川達三の「蒼氓」、ブラジルへ移民する民衆が船出を待つ間の哀歓を描いた痛恨の物語だ。 受賞を逃した候補作品のなかには、太宰治の「逆行」もあった。 太宰治は、このとき、芥川賞が欲しくて堪らず、佐藤春夫に長い懇願の手紙を書いて送っていたことは有名な話だが、このときの受賞者をはじめ候補者、いや、そもそも審査にあたった作家たちでさえ、のちに太宰治ほど国民的人気を得てビッグネームとなった作家はいなかったのだから、皮肉な話だ。 この文章の初出は、筑摩が昭和30年代に出した現代日本文学全集の月報に掲載されたものと、末尾の注書から知った。 具体的な巻数は、87巻、現代日本文学全集の総巻数が全97巻だから、かなり最後の方だなと見当をつけて、さらに調べたところ、昭和小篇集の(2)というところまでは突き止めた。 なるほど、個人名での収録は全集から漏れた中堅作家たちと、特に、芥川賞を受賞した作家たちがまとめて集められているらしい。 確か、伊藤永之助あたりが掲載されていた本を持っていたはずなのだが、どうしても見当たらない。 しかし、せっかく芥川賞全集を広げたので、第1回の太宰に関わる部分の「選評」を集中的に読んでみた。 つまり、どういう理由をつけて、太宰治を落としたか、「先見の明」の無さだ。 選評が掲載されているのは、6名。 まず、久米正雄は、一言の言及もなし。 佐藤春夫は、開口一番、自分は本来太宰の支持者であると宣言したうえで、こう言う 《予選が「逆行」で「道化の華」でないのは他の諸氏の諸力作が予選に入っているのに対してたいへん損な立場にあると思う。「逆行」は太宰君の今までの諸作のうちではむしろ失敗作の方だろうと思う。支持者の僕でさえ予選5篇のなかでは遜色があると思う。》と、一番の支持者のはずの佐藤春夫から、遠回しに支持はできないと釘をさされてしまっている。 山本有三は、言及なし。 瀧井孝作は、《太宰氏の「逆行」はガッチリした短篇。芥川式の作風だ。佐藤春夫さんは、太宰氏の「道化の華」を推奨されていたが、この作は川端康成君が少々もの足りないと言っていて、ぼくも逆行の方のガッチリしたところを採った。》この「採った」は、文脈からすると、道化の華に対して「こちらを採った」と読むべきで、5人中5番目に評価されたことには変わりない。 そして、問題の川端康成は、こう評した。 《「逆行」と「道化の華」の二作は、一見別人の作の如く、そこに才花も見られ、なるほど「道化の華」の方が作者の生活や文学観を一杯に盛っているが、私見によるが、作者目下の生活に厭な雲ありて、才能の素直に発せざる憾みあった。》 太宰は、この「作者目下の生活に厭な雲ありて、才能の素直に発せざる憾みあった」に猛然と噛みついた。 有名な「川端康成へ」である。

更新日: 2019/10/25
19双之川喜41さんの感想

 人目に付きやすい いわば会場作品 でよかったのは火野葦平である。 井上靖は 満場一致で決まった。 五味康祐は 佐藤春夫と坂口安吾 が押した。 柴田錬三郎は 芥川賞で落ちて 直木賞で世に出た。 石のつく作家は  ほぼ受かっている。(石)川達三 (石)川淳 (石)原慎太郎である。

更新日: 2019/07/01
5e9c47c11b5fさんの感想

太宰治先生はとれなくて残念。