地下足袋の 足跡が 残されていたので 泥棒は そこに飛び降りたに違いないと思われていた。 女房は その音に 気づいていたけど どうせ 夫の 大きな寝言 だろうと 思い込んでいた。 その時 跳び起きていればという話である。 なんとなく 微笑みを誘う 話と感じた。
泥棒、に入られたことが、あとの祭りだそうだ! 夜型人間の隙をついた時間帯に侵入された、となれば、やはり、あとの祭り感はあるだろう。 女房は音に気がついたが、どうせお父さんの魘された音に違いない、と寝てしまった、のだ。 振り返ると、あれが泥棒だった、と。 一般に、反省する行為は全て、あとの祭り、だ。理由や原因を分析し、対策を講じることが多いが、あとの祭り的には意味がない。 世の中、事件や事故のニュースが絶えない。評論家さんも毎回同じコメントを繰り返している。 二度とこのようなことが無いように云々…… ちなみに、あとの祭り、とは「祭りの後の神輿や山車は用済になる」ことから、「手遅れ」という意味。 人生は過去しかない。 今、を生きることはできない。ましてや未来を生きられない。結果は全て過去の出来事だ!人生は結果だ。 空欄の原稿用紙は未来あるいは現在でも、文字が書かれてしまえば、それは過去である。 この感想文も「あとの祭り」である。
よくわからなかった。 友人の家を間借りして一家が住むというのは、当時commonなことだったのだろうか?