娘を打った手と書く手は同じような呪われた手なのであろうか。
もうひと展開欲しかった。そうすればこの作品が今も変わらぬ日本の庶民生活の實相というか、嫡出か非嫡出かで縺れたり、余裕なき経済生活で愛憎の葛藤があったり、或いは痛ましい事件になりかねない背景のデッサンで終わらなかったはず。それでも当時の時代を思わせるやっさもっさの世相を感じるに十分だし、「進展地」を求めて北海道移住が活字になっていたことも興味深い。映画『誰も知らない』『万引き家族』の監督なら特別のプロットを考えそうな。しかしちょっとした動作の描写に心理的な動きが読み取れる表現力は並の物ではない。見えるものしか見ることができなくなった現今の日本語社会生活を反省もさせられる。...こんな読み方もできる。
情けない、情けないが、致し方ない自己作家の自嘲…
本当に意気地が無いのはこんな事をする男かも。 しみじみ思う。
売れない作家の悲哀に満ちた日常の出来事が綴られている。